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最高裁判所第二小法廷 昭和30年(あ)3957号〔1〕 判決

上告人 被告人

篠原善吉 外八名

弁護人

小林為太郎 外一名

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人篠原善吉本人の上告趣意は、憲法違反、判例違反の語を用いてはいるが、その実質は事実誤認、採証法則違反、量刑不当の主張であり、同岡山博世、同南松志、同竹本修、同森江繁造各本人の上告趣意並びに同高橋亀本人の上告趣意一、五及び七は、いずれも事実誤認、量刑不当の主張を出でず、同二乃至四はいずれも単なる法令違反の主張であり(近藤真雄の所論各供述調書はそれぞれ司法警察員及び検察官の誘導尋問によりなされた供述を録取したものであつて、供述の任意性を欠き証拠能力がない旨主張するけれども、この点については原審において主張判断を経ておらないのみならず、第一審公判において被告人全員が右各供述調書を証拠とすることに同意していること記録上明らかであるから、上告審に至つて争うことは許されない)、同六は本件の捜査及び勾留自体の不当不法を主張するものであつて原判決の違法を主張するものではなく、同西村京一本人の上告趣意は違憲をいうけれどもその実質は原審が事実の取調をなさずして第一審判決よりも重い刑の言渡をした点を非難する訴訟法違反(この点に対する判断は後述弁護人小林為太郎の上告趣意第二点に対する判断部分参照)、量刑不当の主張に帰するものであり、同張錫権本人の上告趣意は、右同様の訴訟法違反(同上参照)、事実誤認、量刑不当の主張であり、同三木八重子本人の上告趣意は違憲を主張する点もあるが原裁判所が所論被告人等の黙否権を侵害したと認められる事跡は記録上少しも発見できないから所論違憲の主張はその前提を欠くものであり、その余の論旨は事実誤認、量刑不当の主張を出でないものである(なお近藤真雄の供述調書の任意性を争う点もあるがこの点に関しては前述被告人高橋亀本人の上告趣意に対する同関係判断部分参照)から、いずれも刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

被告人等の弁護人小林為太郎の上告趣意第一点前段は違憲をいうけれども「暴力行為等処罰ニ関スル法律」一条一項の規定は、現在有効に存続する規定であり且つ憲法九八条に違反するものでないことは当裁判所の判例に徴して明らかである(昭和二五年(れ)第九八号、同二六年七月一八日大法廷判決、集五巻八号一四九一頁、昭和二四年(れ)第八九八号、同二九年四月七日大法廷判決、集八巻四号四一五頁各参照)。従つて原判決が所論の判示事実に対し右法律一条一項を適用処断したのは正当であつて、所論は理由がない。

同第一点後段及び被告人等の弁護人植木敬夫の上告趣意第一点は、いずれも、被告人三木八重子の本件業務妨害の所為(第一審判決の判示第三)は正当な争議行為であるから違法性を阻却するものであることを前提とし、これを労働組合法上正当な行為とは認められないからその犯責を免れ得ないとした原判決は憲法二八条に違反する旨主張する。原判決が、この点に関する判断として、第一審判決の判断を引用しつつ「当該労働組合の決定にもとずかず少数者の専断により敢行せられたものであつて到底労働組合法上正当な行為とは認められないからその犯責を免れない」とだけ説示するのは、その説明簡に失するのうらみはあるけれども、原判決はその前段において第一審判決引用の各関係証拠を綜合するとその各判示事実は証明十分であつて何等事実誤認はない旨判示しているのであり、その判文全体からすれば、原判決判断の骨子とするところは、結局、被告人三木八重子が参加した争議行為と称するものは当該労働組合の決議に基かず、ただ少数者の専断により敢行されたものである点、並びにその具体的な実行行為の点即ち第一審判決判示第三記載の如く、同被告人は外数名と共謀のうえ、電車の前方通路である軌道上に、或はうずくまり、或は板切れ、道具箱、枕木、トラツク等の障碍物を並べて出庫電車の進路を塞いで出庫を阻止したものであるとの点、及び同被告人は当該労働組合の組合員でない点等を綜合して、以上は争議行為とは認められず、また仮りに争議行為であるとしても、前示具体的行為の手段方法において、右は労働組合法一条二項所定の正当行為とは認められないとした趣旨と解すべきであるから、この原審の判断は当裁判所の判例(昭和二二年(れ)第三一九号、同二四年五月一八日大法廷判決、集三巻六号七七二頁)の趣旨にも合致し、正当であるというべきである。されば所論違憲の主張はその前提を欠き採用の限りでない。

右弁護人小林為太郎の上告趣意第二点は違憲を主張するけれども、第一審判決が懲役刑の執行猶予を言い渡した場合に、控訴裁判所が検察官からの第一審判決の量刑は不当であるとの控訴趣意に基き、第一審判決の量刑の当否を審査するに当つては常に自ら事実の取調をしなければならないものではなく、訴訟記録及び第一審において取り調べた証拠のみによつて、検察官の控訴を容れ第一審の量刑よりも被告人に不利益に変更しても刑訴四〇〇条但書の解釈を誤つたものということはできないこと、当裁判所の判例(昭和二七年(あ)第四二二三号、同三一年七月一八日大法廷判決、集一〇巻七号一一七三頁参照)とするところである。従つて所論違憲の主張はその前提を欠くものであり、その余の論旨は事実誤認、量刑不当の主張であつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

右弁護人植木敬夫の上告趣意第二点は訴訟法違反の主張であり(前記弁護人小林為太郎の上告趣意第二点に対する判断のうち、刑訴四〇〇条但書の解釈の点参照)、同第三点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、同第四点は、判例違反を主張するけれども、所論の点については原審において主張判断を経ていないばかりでなく、所論引用の判例は監禁の手段として脅迫が用いられた事案に関するものであつて事案を異にする本件には適切ではなく、何れも刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

また記録を調べても本件につき同四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて同四〇八条により主文のとおり判決する。

この判決は、弁護人小林為太郎の上告趣意第二点のうち刑訴四〇〇条但書の解釈問題に関する部分、並びにこれと同趣旨の弁護人植木敬夫の上告趣意第二点及び被告人西村京一、同張錫権各本人の上告趣意のうち訴訟法違反の主張部分に対する判断について裁判官小谷勝重、同河村大助の少数意見あるほか裁判官一致の意見である。

裁判官小谷勝重、同河村大助の少数意見は次のとおりである。

原判決は、第一審が本件被告人等に対して言渡した各執行猶予を附した懲役刑の判決を破棄自判し、それぞれ懲役刑(実刑)を言渡したのであるが、記録によればその手続は書面上の調査のみによつたのであつて、事実の取調を行つた形跡は認められない。このように第一審の執行猶予を附した判決を第二審において破棄し自判によつてこれを実刑に改めるには自ら事実の取調を行うことを要し、さもなければ第一審に差し戻すべきものである。この点において原判決は違法たるを免れないから破棄すべきものである。

(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)

(弁護人小林為太郎の上告趣意)

第一点 原判決は憲法の違反あるか若くはその解釈に誤りがあると思料する。即ち原判決は第一審判決理由中の第二の事実を有罪とみとめ之れに暴力行為等処罰に関する法律の適用を是認して居ることは憲法の違反があるか又はその解釈に誤りがある。

右法律はその制定当時労働運動、農民運動その他社会運動には適用しないことを附たい条項として制定施行されたものであるが、その後のこの法律の歴史をかんがみるに全くその予期に反して悉く社会運動取締又は弾圧のために使用されたものであつて、この法律の全歴史は民主々義的な運動の弾圧に終始しておるところである。従つて終戦直後の占領軍の命令により治安維持法等が廃止されたとき当然廃止されたものである。にもかゝわらず反動的な日本政府がこれを六法全書のうへに温存せしめたに外ならない。六法全書に登載されておる故をもつてこの法律が生存して居ると解することは憲法第九八条に違反し若くはその解釈を誤つたものと謂ふべきである。

しかも況んや原判決は被告人森江が右行為の際警察官によつて暴行を加へられ負傷した点を否定せずして、仮りにかゝる事があつても犯罪の成否に関係ないと論断して居るが原判決が他の事実につき人権の保護さるべきことを強調する点と矛盾すること甚だしく、何故成否に無関係であるかを説明するところのないのは遺憾至極である。かくの如き簡略な所論によつて人を罰しうるとすれば裁判は全く理性的でなく甚だしく感情的であり到底国民を納得せしめないものがある。

更らに原判決は第一審判決理由中第三の被告人三木に関する業務妨害につき有罪と認定しその理由として少数者の専断によつて敢行されたものである故正当な労働組合法上の行為でないとしておる。何故労働組合法上の正当な行為でないかの根拠は明示するところがないが多分に第一審判決が根拠とせる同法第五条第二項第八号の精神に照らして云々するが如きである。然し右条項は組合規約の制定に対する反動的な干渉を試みておるだけで憲法第二八条に「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他団体行動する権利はこれを保障する」とある明文を抹殺することは出来ない。右条規によると勤労者個人も又団体行為が出来るところであつて、これを保障するところである。然るに労働組合法の改悪によつて個人の権利を労働組合法第五条第二項第八号のワク内にとぢこめた事は憲法違反であり不当なる制限である。組合全部が団体行動をせずその一部が右行動に出てた時の処置は組合内部の問題として放置すべきである。それを労働組合法に於て制限する事は憲法第二八条によつて保障された労働者個人の権利の剥奪であり憲法違反のそしりをまぬがれない。例へば労働組合はオープンでなければならぬと労働組合法に規定されたと同様である。原判決が右憲法の解釈をあやまつて右事実を認定したことは明瞭である。

第二点 原判決は事実の誤認があり依つて刑の量定甚しく不当の結果に陥り、延ひては刑事訴訟法第四〇〇条但書を濫用したそしりをまぬかれず憲法第三十二条の裁判を受ける権利を奪はれたに等しいものである。

原判決は「近藤真雄にスパイ行為があり同人に本件糾弾を受けるについて責任があつたかどうか」明らかでないとして居るが第一審判決はスパイ行為を認定しては居ない。その糾弾さるべき点があつたことを認めておる。この点は近藤が労働組合員としてルーズな組合員であり党員としては危険な党員であつたことは近藤自身の第一審に於ける供述にも明瞭にされておるところであつて、もしこの点につき原判決が言ふごとく不明であればよろしく破棄差戻しを為すべきである。不明なまゝに被告人等に不利益な判決を自ら為したことは刑事訴訟法第四〇〇条但書の所以に添ふものではない。

更らに原判決は共犯者甲、乙が主導的人物であつたかどうか、同人等の指揮のもとに被告人等がその立場上やむなく本件犯行を犯したものであるのかどうか明らかでないとされておるが、共犯者甲及び乙が主導的人物であつたことは被告人等の供述によつては勿論、近藤真雄の第一審に於ける供述は勿論、警察及び検察庁に於ける同人の供述調書によつても明瞭であるところである。若し原判決が言ふ如く不明であれば原審はよろしく破棄差戻しすべきである。不明なまゝに被告人に不利益な判決を為したのは刑事訴訟法第四〇〇条但書の存在に添ふ所以でない。

原判決は共犯者甲及び乙が、党機関のメンバーでありそれ故に平党員の被告人等が党規律上からも指導さるべき地位にあり行為当日の状況も全く右甲及び乙の指揮によることは近藤真雄の証言のみを観ても明白なるに不拘これをしも記録上明らかでないと称するのは理解に苦るしむところであり、しかく不明であれば前述の如くよろしく差戻し裁判を為すべきである。

茲に記録上不明な点は被告人等が反省悔悟しておるかどうかの問題であるが破棄差戻しされるならばその実情を証明し得たし又再犯のおそれがないことは日本共産党の所謂六全協の決議が出たことにより明白でありこれも充分立証し得るところである。

原審が刑事訴訟法第四〇〇条但書により自判したことは被告人に不利益な内容の判決であるに不拘事実審理を数十回重ね被告人の人物人柄も身をもつて理解したうへの第一審判決を尊重しなかつたことは遺憾至極であり被告人から憲法上裁判を受ける権利を奪つたに等しいものである。

原判決はいかなる場合に於ても人権は尊重されねばならないと高唱するところであるが第一審判決も又勿論これを無視しておるものではない。唯同志であり同一規律内に生活してゐたものであつて第三者の法益の侵害でないとは、被告人等が一般的に狂暴性をもちいつでも暴力に訴へておるわけでなく、たま〓同一のグループ内の規律保持上行過ぎ行為を為したものであつて、従つてその犯罪性格は深酷なものと謂へないと謂ふのである。特に被害者に於ても冷静になつた第一審公判では被告人等全体に対し厳罰なきことを望んでおるほどである。依つて第一審判決は被告人等全体に執行猶予を与へたところである。原判決が検事の一方的な紙のうへの理窟だけを聴取して折角の執行猶予を剥奪したことは全く刑事訴訟法第四〇〇条但書の濫用に外ならない。

刑の量定において被告人に不利益なことは無罪が有罪となると全く同一価値に於て評価さるべきであり刑事政策上からも又重大なことは喋々を要しないところである。依つて原判決破棄し第一審裁判所に差戻しあらむことを希求する次第である。

(弁護人植木敬夫の上告趣意)

第一点 原判決は憲法第二八条に違反する。

原判決は一審判決罪となるべき事実第三に関し、これが正当な争議行為であるとの弁護人、被告人の主張を排斥した。

その理由は右事実は「当該労働組合の決定にもとづかず少数者の専断により敢行せられたものであつて、到底労働組合法上正当な行為とは認められないからその犯責を免れ得ない」というにある。

そも〓争議行為とは「労働関係の当事者がその主張を貫徹することを目的として行う行為及びこれに対抗する行為であつて、業務の正常な運営を阻害するもの」(労働関係調整法第七条)であつて、それ自体使用者の「業務を妨害する」ことを本来的に内容とするものである。しかして憲法第二八条は正にかかる争議行為を勤労者の固有の権利として保障しているのである。従つて仮に労働組合法等法令において争議行為に特定の制限を付する規定があつてもそれは極めて厳格に制限的に解釈しなければならない。

本件当時、京都市と市労連とは夏期手当及び馘首の問題をめぐつて争議状態にあつたことは一件記録上明白であり、又、京都市交通労働組合も又右市労連加盟の単位労組として争議状態にあり、且つ「ストライキを含む一切の実力を行使して要求を貫徹する」との大会決議がなされていたことも明白な事実である。しかして被告人三木八重子を含む数名の者が初電の出庫を阻止したのは正に右の目的を実現する手段としてなされた争議行為であることも疑いのないところである。

只、原判決は右の争議行為そのものが組合の機関決定を経ていなかつた点を捉えて正当な争議行為ではないとするのであるが、労働組合法はじめ如何なる法律を探してみても、かかる争議行為を禁止すべき規定は存在しない。第一審は「労働組合法第五条二項八号の精神」なるものを掲げてはいるが、右は同盟罷業のみに関する規定であるし、しかも右は単に労働諸関係法による保護の対象となる組合の要件に関する規定であつて、右の規定に違反した同盟罷業を違法とする趣旨ではなく、かかる争議行為でもそれが争議行為であるかぎり正当なものであつて刑事上の免責を受けることに変りはないとすること通説である。

要するに原判決の判断には何等根拠がないのであつて、憲法が争議権を保障した趣旨を全く忘却したものといわなければならない。

第二点 原判決には訴訟手続に法令の違反がある。

原判決は第一審判決を量刑の点において破棄自判し、直ちに被告人らの刑を加重した。しかも原審は右につき何ら事実の取調をなさなかつたのである。

現行刑訴法が口頭審理主義を基調としている所以のものは法廷における訴訟関係者の言動、態度等全弁論の結果を参照してこそ証拠はより正しく判断され得るという事実の認識に立つのであり、且つ又、それによつて初めて被告人の防禦の機会をも十分に与えうるという事実に基くものである。

しかも情状に関する判断の如きは特に裁判官の主張に依存する程度が高いのであつて、その判断の「正確の可能性」は上級審の裁判官は直接事実を取調べた一審裁判官に及ぶべくもないのである。

従つて、近時一審判決を量刑の点で破棄し、これを加重することを相当と認められる場合にはこれを一審に差戻すか、又は自ら事実の取調をした上自判すべきものとなす説が有力に主張されているのであつて、本弁護人もまたこれに賛するものである。

第三点 原判決には事実の誤認か又は法令の適用に誤りがある。監禁とは自由の拘束である。従つて特定の場所より移動しようという意思のない者に対しては監禁は成立しない。

本件第一の事実において被害者近藤真雄は自ら逃走を企てようとした事実は最后の逃送までは一度もないこと記録上明白である。しかも張現植方においては近藤たゞ一人だけが二階から下に降りたことが二回あること、又西村享一方においては被告人等全部が仮睡してしまつていたことがあること、しかも同人方は壁一重で隣家であること、又張仁順方では戸外に他人がいたこと、又二度までも家内に入つて来たことがあること等は明白であつて逃走し或は救助を得ようとすれば得られた状況にあつたことは明白であり、家から家えの移動は二人の被告人が一緒であつたとは云え、未だ通行人のある宵の口か昼間のことであつて、最后に逃走しようと決心した時逃走できたように、何時でも逃走出来る状況にあつたことも明らかであつてこのことは被告人等が特に監禁のために必要な手段を講じていなかつたことゝ近藤自身逃走する意思がなかつたことを示すのである。

現に近藤は公判廷において梅村特別弁護人の問に対し

「私は一方においては逃げ出したい気持を持つて居りましたがもう一方においては皆がもう私の言うことをもう判つてくれるか、もう判つてくれると云う気持があり、此の二つの気持が錯綜して居りましたので救を求めなかつたのであります。」(一〇六二丁)

と述べて逃走する意思のなかつたことを認めているのである。又被告人志倉良治の司法警察員に対する第三回供述調書には

「近藤氏に対して私から『貴方ばかりせめると思つているだろうが黙つているからだ、腹が立つて組織から離れて行こうと思うなら帰るだつたら帰れ』と吾々の陣営から去ることを希望するかしないかを聞いたところ西村享一の家に行くと云つていました。」(一四六五丁)

との記載があるのである。

原判決はこの点において事実を誤認したか、そうでないとすれば法令の適用を誤つたかである。

第四点 原判決は大審院判例に違反する。

原判決は被告人等の近藤真雄に対する行為につき監禁罪と傷害罪との成立を認めた。

しかしたとえ形式上監禁罪に該る行為が被告人等にあつたとしても本件の場合それは被告人等の暴行の単なる手段としてその暴行の一形態と解すべきであり、従つて又監禁罪は傷害罪に包含されるものと解すべきであつて、被告人等を傷害罪を以て罰すれば足るのである。

たとえば人に暴行を加えんとするものが逃走せんとする相手をつかまえて暴行を加えた場合の如き(つかまえなければ暴行を加えることがそも〓出来ない)その「つかまえる」行為は一応逮捕罪の構成要件に該当するがそれは暴行の一手段として、その逮捕は暴行罪に包含されるものと解せられるが如きである。

従つて例えば逆に監禁の手段として脅迫を用いたとしてもそれは監禁罪に包含され別罪を構成しない。

(大審院昭和一一年五月三〇日云渡、大審院刑事判決集第一五巻七〇五頁参照。)

とするのも全く同一の論理に基くのである。この論理を貫けば本件における監禁行為は継続して暴行を加える目的の達成のための単なる手段であり、むしろその暴行に附随する一態様と云うべきであつて当然傷害罪に包含されるものとしなければならない。

即ち被告人等傷害を以てのみ論ぜらるべきであつたのであり原判決は右の点において前示大審院判例に違反する。

(その他の上告趣意は省略する。)

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